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旗は揚げているのだが
(数学セミナー別冊「数学の楽しみ」第4巻(1997)--教育論壇--)


1.はじめに--熱海ワークショップのこと--

 1996年の2月が日本の数学にとって特別なときになるかもしれないと、この雑誌を創刊号から読んできた人は思うかもしれない。 京都大学の上野健爾、桐蔭横浜大学の志賀浩二両氏の呼び掛けで、18-20日にあるワークショップが熱海で行われた。 20数人の中堅の数学者が集って、主として大学における数学教育のあり方についての熱い討論が行われた。 みなそれぞれの場で、それなりの努力をしている数学者たちである。
 志賀さんがワークショップの背景説明をし、上野さんが「煽動」をする。 彼らとの付き合いの古い人たちがぼつぼつと話し始めるが、参加者の口は重い。 数学の研究のことや研究組織のことなら最初から話が弾んでも、教育のことは一種のタブーである。 しかもこのような席で発言してしまうと、それが以降の行動の枷になることを知っている。 無責任な放言のできる齢ではないのだ。
 それでも、自分たちの教育現場で、大学院生、学部学生、一般教養の学生たちを教えてきて、不満と不安とあせりといらだちと、少しの希望と多くの落胆・失望を味わっており、それでも何かしらの行動を取っている人たちばかりである。 その上、ほとんどの参加者は、分野は違っても、学会やらシンポジウムなどで互いに顔見知りの人たちだから、重い口も次第にほぐれてくる。 激しい議論になる。
 行動を起こせと、上野さんは言う。 しかし、みな何もやっていないわけではないのだ。 そんな人を集めて立ち上がれと言うのなら、自分を焦点にして参加者の努力の方向を収束させるべきなのだ。 僕は一人つぶやいていた。
 夜はまた、幾つかの部屋に離合集散しつつ個別の議論に盛り上がる。 酒も入っているから、妙にしんみりしたり、出来もしないことを誓ってみたりもする。
 数学者は個人主義者が多くて、共同作業が苦手である。 口に出す人も出さない人も、それぞれの心の中で何かしらの決意を抱いていた。 それが何なのかは、それぞれの人のその後の行動が示していくものだろう。
 呼び掛け人の2人のことを少し。 志賀さんは東工大を辞めて今の大学に移られたときから、猛然と大量の数学の啓蒙書を書いておられる。 書いても書いても溢れ出る情熱がそうさせるのか、書いてしまうとそれに対する自己批判が生じ、より良いものを目指すからなのか、ともかくその活動は敬服するものがある。 一方、上野さんは数学会における大きな影響力を駆使して、数学者たちに数学教育の現状を打破・改革すべきだと、いろいろな形で説いてきて、説いても踊る者が少ないと、それは一旦諦め、自分でできる何かを始める。本を書くとか、プロジェクトを計画するとか、雑誌を作るとか、実に三面六臂の活躍である。
 この雑誌の創刊も、そうした彼らの歩みの一環なのである。 もしかすると、ワークショップの直接の帰結なのかもしれない。 この雑誌は、 数学者の考える「これからの数学教育」の、最も良心的な試みの1つだと言えるだろうし、大変な労力には敬意を表するし、培われてきた知識と見識の豊かさ・華やかさには圧倒されるものがある。
 それでも、ワークショップのときもそうだったが、「数学教育」を考える数学者の議論を聞いていていつも感じる違和感を感じないわけにはいかない。
 この人たちは、誰に向かって語っているのだろう?

2.「数学」教育の危機は克服できるのか

 数学者が「数学の危機」を論じることはあった。 公理主義的な厳密さが行きすぎれば数学の将来に危機が訪れる。 ラッセルの逆理。ゲーデルの不完全性定理。 現代数学が基盤としている集合論のひびは、数学者にやましさを感じさせながら、それでも数学者の日常は楽天的である。
 積分論の厳密化のために複雑・精緻な理論を構築したルベーグ自身が、数学理論の一般化の傾向に危惧を抱いて、「一般論に帰着すれば、数学は美しく内容のない形式になってしまい、すぐにも死ぬことになるだろう」と言ったことなど、記憶しているものは多くないだろう。
 しかし今、「数学教育の危機」を数学者が声高に論じている。 数学それ自身以外には超然としてみえた数学者が、今あたふたと「数学教育の危機」を論じている。 数学者がそれを論じても不審に思われないというか、論じることが当然であると思われるような状況が生まれている。 「理科離れ」「数学離れ」が教育現場で起こっていると、マスコミが取り上げるようになって久しい。

 数学者も教師である以上、学生のことを、学生を教えることを考えずにはいられない。 教えることが嫌いではやっていられないのである。 内容は変わっていくが、自分たちが教えられたように教えたい。 しかし、大学で教えている学生たちが年々少しずつおかしくなっていることに気づく。 丁寧に説明し当然理解してくれると思っていても反応が返ってこない。 不審に思って学生に訊いてみれば、基礎的な事柄に戻って説明していたはずのその基礎的な知識を知らないでいる。 そういうことが増えてくる。
 少し長い論証にはついてこれなくなっている。 論理を積み重ねて論証しても、結果が感性にあわないと受け入れない。 背理法で、結論を否定して、矛盾を出そうと論理を運用すれば、はっきりした矛盾に到達する前に湧きあがってくる気持の悪さに耐えられない。 背理法での証明の中でさらに背理法を使おうものなら、ヒステリーを起こしかねない。
 論理を信じられない。 自分で出した結論にも不信感が残る。 権威の保証がないからなのか。 入試の採点をしていて感じることは、答案が何を主張しているのか分からない。覚えている公式を書き散らすだけ。 問題を解くためのどのプロセスにどのように使うのかが分かっていない。論理的な手続き上重要なステップは書き漏らすくせに、意味のない計算をくどくどと続ける。こうした特徴が、年々程度を増してきている。
 自分の子供の学習を見る機会があると、知識のなさにも驚かされるが、何より基本的な作法を知らないことに驚かされる。問題解決のために数学があるのであって、数学の問題を解くために解法の堆積があるのではないことを理解していない。
 自分の子供の学習を見るようになって、子供の受けている数学教育の貧しさに気づき、数学教育論議を始めるようになった数学者は少なくない。 自分が受けてきた教育がどうであったかを忘れた頃に、今の自分を過去に投影して、自分にできたことがなぜ子供にはできないのか、なぜ子供は教えてもらっていないのかと嘆くのである。 しかし大抵の場合は、例外的に自分と適合した教師に出会う幸運を享受したか、それとも教師からは何も学ばず、自分で自分を磨いていったかのどちらかだったのである。 数学者たちの伝記を読んでみても、仲間の数学者たちと折りに触れて話してみてもそうしたもののようだ。
 だからこの最後の点からは、初等・中等教育に不満を抱くのは一種の老いの繰り言であるという意味合いがないではない。 しかし、そういうことを割り引いても、確かに「数学教育の危機」はある。

 理学系の大学院を終えたとき、ある種の偶然で、教員養成の教育学部に勤めることになった。もう昔のことになったが。 実は、そのときあるカルチャーショックを受けた。 学生が勉強をしたがらないのだ。 ものを知らなかったというのか素朴すぎたということなのか、大学ヘ入るのは勉強するためだと僕は思い込んでいたのだ。 数学科の学生でありながら、数学の勉強をしたくないという。 そんな数学が何の役に立つのかと訊いてくる。 何なんだろう、これは?
 近年はさらにその傾向が極端だとはいえ、今となって考えれば、いつの時代にも学生(修業者)は勉強を嫌がるものだったのだ。 ヨーロッパの修道院の壁の落書きにだって、正倉院文書の紙の裏にだって残っている。
 憤然として、数学の学問としての意味、文明の基盤としての意味、人類の文化としての意味、公教育で数学を教えることの意味を語ったものだ。 数学の教師になるべく教育学部数学科に入学してきた君たちは教師の予備軍であり、数年後に教師になったとき、児童・生徒から役に立たない数学を勉強するのは嫌だと言われたときどう答えるのだと、訊きかえす。 小学校の算数は社会に出たとき役に立つから、という答が返ってくる。 本当にそうなのかも問題なのだが、それでは中学の数学も役に立つのか、例えば2次方程式の解の公式を社会に出てから役立てられる職業がどれくらいあるのか、と訊きかえす。 自分たちの主張の論拠だったことを問い返されて学生は絶句する。 答が出なくてもいい、自分でそのときどう対処するのか、少なくとも卒業するまでには考えておきなさい、とやれば大抵の学生は静かになる。
 いや、20年前なら静かになった。 今は、.....こんなことをまじめに論じることもなくなっている。 論じることがなくなって、数学は役に立たないものだと、マスコミの教育論議ですら常識化しているように聞こえる。
 数学が一部の高度な知識人だけのものであり、知識が特権階級の占有物であった時代には、こういう蔑視は起こらなかった。 高度な専門知識が有用であることは誰も疑わない。 大衆はそれに手が届かないことを絶望的に感じ、階級間の壁になっていた。 支配階級は自身知識人であったり、知識人を独占利用することで権力を維持していた。 地位を持たない民衆が、個人として、階級の壁を越えるためには、知識人になることがほとんど唯一の道であった。
 知識が大衆化されて、というより、知識の習得の機会が大衆化されて、初めて知識への蔑視が起こるというのも不思議な話である。 ヨーロッパも各国の言語が確立し、印刷技術が発達して知識が民衆の間に広まっていき、高度な数学の技術も微積分の発見により、次第に技法が大衆化し、社会のあらゆる分野で理論構築の基盤となっていって、大衆が直接に数学に触れはじめた頃、すでにそういう議論がなされている。

 ニュートンの『プリンキピア』が出版されてから13年後の1699年に、すでに、史上初の科学啓蒙家でもあるド・フォントネル(1657-1757)は数学を学ぶことの有用性を論じて次のように言っている。

  「何のために人々は数学や自然科学を好きにならねばならないのだろうか?..... 人々は 自分の理解できないものはすぐに``役に立たない''と言いたがるのだ。 それは一種の復讐である(中略)。
  数学はそれが役に立つものだけに制限されるのだったなら、技芸と直接的で良識的な親和性を持つような事柄においてのみ向上されるべきで、その余のことは空虚な理論として捨て去られるべきだと、考えがちである。 しかしこれは誤った考え方である。 例えば、航海術は天文学に必須の関りを持っており、天文学は航海術のためにという理由ではそんなに向上することはできないだろう。 天文学は光学なくしてはあり得ず(望遠鏡のため)、そのいずれも、数学のすべての分野と同様に、幾何学に基礎を置いており、......」

 大航海時代が終わり、航海術が富を作り領土を広げ、人類にとってもっとも重要な技術であった時代だから、 こういう表現になっているが、 現代では航海術の代わりに挙げられる技術は山ほどにもあり、むしろそうでないものを探すことの方が難しい。 高速・大量輸送技術、電気を利用するあらゆる技術、土木・建築、食糧生産、環境制御、そしてもちろんコンピュータ・テクノロジー。 今、数学を理解し、活用する能力が人類から失われたらどうなるだろうか。 ダニエル・キースの『アルジャーノンに花束を』(早川書房)を読んだ人なら、後ろ寒く想像できるだろう。 文明に依存せず自給自足していて、外界との交流を断っているような地域以外で、人が人として生き残ることは 想像することもできない。
 フォントネルから100年ほどしてフランス革命が起こり、民衆を国家の一員として自覚させることの必要性から、 公教育が生まれる。 いつの時代にも繰り返し、いわば季節の変わり目ごとに、有用性を疑問視することで数学の教育・研究を非難する論調はあっても、 多くは敗者の繰り言として無視されてきた。
 しかしこれとは別の科学へのライヴァルもいる。 科学と反科学との対立も根深い。 1632年のガリレイの『天文対話』は科学啓蒙書であるとともに、人間を世界の寵児の位置から追い出した。 人にとっては心地好かった思い込みを、科学の啓蒙は1つ1つ打ち砕いていった。 神が世界を作ったわけではなく、地球が宇宙の中心ではなく、人が万物の霊長であるわけではない、と。
 C.P.スノウは、1959年の講演で『2つの文化』(科学と文芸)を論じて、 「2つの文化が存在する理由は多く、根が深く、複雑で、社会の歴史や、個人の経歴や(中略)、精神活動そのものに根ざすものもある。..... 西洋の知識人は、産業革命を理解しようとはしなかったし、理解したいとも思わなかったし、あるいは理解できなかったし、受け入れたりはしない。 知識人、とくに文科系の知識人は、その本性からしてラダイト主義者なのだ」 と言っている。
 ここで言う知識人は上で議論した意味での知識人ではなく、知識人を利用していた支配階級の末裔なのかもしれない。
 それはともかく、近年の「数学・理科離れ」を許容する政策やマスコミの論調の根底には、文科系知識人の意見の方がそういうものに反映しやすいということがあるのかもしれない。

 まして危機的なのは、そういう風潮から、能力の高い就学人口の多くが人文系の分野に進み、高い能力を持たないと習得できない理科系分野へは集らない傾向が先進諸国の間にあることである。 産業基盤が崩壊しつつある。 もちろん危機的なのは先進諸国であって、急速に発展途上中の諸国ではこの傾向が少ない、以前の日本がそうであったように。

 戦後、アメリカから教育システムを強要されたからか、にも関らずなのか論点は分かれるだろうが、日本の教育制度は細かい修正を受けながらまずは健全に機能してきた。 数学会も世界的に見て遜色のないものに育っている。
 しかし、高度成長期が終わり、公害環境問題が大きな社会問題になってきたとき、政府は、政策はほとんど変更しないまま、科学をスケープゴートにしてきたのではないだろうか。 国民の目先を変えるために、教育改革という名の教育のシステム変更を、大局的な見通しもなく、その場限りの耳触りの良さだけのために行ってきた。 項目だけ挙げてみよう。
 共通一次試験の導入。入学試験方法の多様化。内申書の重視。 ゆとりの教育。週休二日制。個性の尊重。 多様な価値観の育成。
 教員の資質向上のため、教員の再教育をかねた教育系大学院の設置。短大でも教員免許を取得可能にする。
 技術立国のためには、理科系の博士号取得者が少ないのが問題と、理学系の大学院の大幅定員増。 専門性の重視という名目での一般教育の廃止。 教科間民主主義の強化による、主要教科の低落。 高校全入は制度ではないが、全入制を敷いたかのように普及した。 その上で、選択の自由の名の下になされた高校での小学区制の廃止による、学校間格差の拡大。 大学院への飛び級・飛び入学の実施に続いて、大学への飛び級・飛び入学。 ごく最近は、公立での中高一貫教育の実施(義務教育六三制の廃止やエリート選別を公立で行うことにつながる)。 教育委員の数を増やし、公選制も込めた教育委員会制度の改革。 高校ばかりでなく、中学においても教科内容の選択制。
 どれ一つを取っても、その項目だけを見れば、また一通りの説明を聞いた限りでは、素晴らしい改革に聞こえるかも知れない。 「教育の自由化」に向かっているように見えるし、教育を享受する人口の増加に向かってもいる。その一方で、高い教育効率も目指している。
 政策として矛盾していると、字面からは言えない。 公教育にはもともと、普通教育の普及と専門知識人・技術者の養成という相反する側面を持っているのだから。
 文部省やその出先である教育委員会は、コントロールを失うどころか、 学校経営に対する拘束力は強化されていると言ってよい。 極端に言えば、現場の教師たちは、直接的な教育以外の仕事の負担が増加して、児童生徒の教育を気にかける暇がない程なのである。 教員採用や教育実習のあり方にも、多くの問題がある。
 口先だけで自由を謳い、現実には規制を強化する。 そのことで教育が少しずつ少しずつ歪んできた。
 1つ1つの項目について、その歪みの現実を論じるためには、この雑誌の1号分を使っても足らないだろう。 ここまでは序文のようなものだが、そのどれかを選んで詳述するよりも、 いっそすべての本文を省いて、後書きのような個人的な試みについて述べることで少なくなった残りの紙数を埋めることにするしかないようだ。

3.諦めていたはずなのに

 総合的にバランスよく運用されれば、すばらしい効果を挙げたかもしれない政策群が、実施に際しての官僚のセクショナリズムと複雑多様な関係諸機関・組織の利害関係の調整・妥協によって、教育現場に歪みを呼んでいる。
 最大の被害者は児童・生徒・学生なのだが、教育を受けている期間しかその被害意識は持続せず、抵抗も一過性にならざるをえない。 教師も被害者なのだが、意図しないでとはいえ、加害者としての側面を持つので、教育改革に声高にかつ持続的に反対することはできない。 保護者は制度のあり方よりも、自分の子供にとっての意味しか考えないので、本格的な運動はできないし、する意思と行動があった場合でも子供の卒業とともに終わってしまう。
 教師を作る立場にいて、教育の問題を考えることも年に何回かはある。 送り出す学生の知識の量と質、教師としての意識・覚悟の質が年々低下している。 入ってくる学生の知識の量と質、学ぼうとする意識が年々落ちているので、同じ努力では当然の結果だ。 その上、学生の学習意欲の低下は教師側の教育への熱意をさます。
 何が悪いのかは分かっている。 就学人口の増加と学習内容の選択制は全体の質の低落を招く。 プロを作るシステムではない。 教師を取り巻く環境が劣化して、教育に専念できない。 プロ意識が薄れていくのももっともだ。
 僕らにできることは、少しでも良い数学をその体と心に浴びさせることしかない。 絵でも音楽でも、たとえ専門家にならなくても、その理解を深めるためには本物を見・聴くことだということは誰でも知っている。 だったら数学だって同じことだ。 本物の数学を知らない教師に、数学を教えることができるはずがない。 まして、数学で、つまり数学を教えることを通して、人生を自然を社会を宇宙を語ることなどできるはずもない。
 だが学生は、小難しいことを言う教師の講義は敬遠する。 そういう講義を受けなくても、単位を集めて卒業する工夫をする。 教員採用試験は、大学での教育内容を出題せず、一般常識と高校までの知識のみを出題する。 多少とも出来の良い方の学生が採用試験に落ち、卒業も危うい学生が採用されることは珍しいことではない。 教師になるために勉強しろと言っても学生が聴く耳を持たないのも、至極もっともな話である。

 かなり長い間、僕は教育問題に関わる気持ちになれないままに感じていた。 教育政策の立案に肝心なことはそんなにいくつもはない。 教員についても児童・生徒についても、重要なことは資質の向上などではなく、維持なのだ。 資質の低下が起きているのにそれを認めようとせず、誰かの点数稼ぎのためかのように、矢継ぎ早の改革を打ち出す。 やってみて駄目なら、そのとき変えればよい。 政策担当者はもうその場におらず、その被害者である児童・生徒は卒業していなくなる。 残された教師だけが無気力になっていく。
 必要なのはむしろ、変えないでいることの勇気と意志と、それを支える努力なのだ。
 そう感じていた。
 最近数学会でも議論されている大学への飛び級・飛び入学も、考えればそう大した問題ではない。 単に、大学の受験資格の中から年齢の条項をはずせばそれでよいだけだ。 人は同じ速さで成長するものではない。 速いからといって優れているとは限らない。 しかし、速いものを無理矢理止めれば害がある。 だから、年齢条項をはずして、試験を受けさせればよい。 能力を認めたら大学は入学を許可すればよいだけのことだ。
 大学の教官に、教員資格は必要ないことを知っているだろうか? 能力さえあればよいのだ。 オーディションのようなもので採用が決まるのだ。 だったら大学生も同じことで、大学が独自に課す入学試験以外の一切の資格を不要にすればよい。
 大検も要らない。センター試験も要らない。 受験生は自分の人生の目標を見定めるためにだけ浪人をする。 当然、入学したい大学の方針に沿った勉強をする。
 これだけで、中等教育のほとんどの問題が解決する。 しかし、そういうことは起こらない。 政策策定機関の面子がある。 実施機関が作られていればその組織をなくすことは不可能だ。 教科書会社、予備校・進学塾は死活問題だ。
 あーあ、何ともならないね。 何とかしようと思っても学生は勉強しないし、教師になったらますます勉強しない、どころか勉強する時間も心の余裕もない。 そう、長い間思ってきた。
 それがあるとき、世の中そう捨てたものでもないか、と思うようなことに出会った。 教育に対する関心を持ち始めて、多少はものも言い何かしらの関与を始めた頃だった。 その2年前から日本数学コンクールが始まり、次の年からは高校生相手の夏の学校を始めていた。 そして、それまであることも知らなかった教職員組合の教研集会の三重県大会に数学教育の発表の助言者として招かれるようになった。
 書いてきたことでもわかるだろうが、僕は学生には厳しいと見える教師だったので、滅多に卒業生と話をする機会もなく、敬遠されていた。 突然、教育問題を語り出しても、誰も信用してくれない。 どうせ自分たちにはわからない、そして教育現場には何の役にも立たない小難しいことを言うだけだ、と思うのだろう。
 1年目は、会場に出かけて卒業生を見掛けるたび、懐かしく思ったり、その学生時代を思い出して、頑張っているんだなあと思った位で、口には出せないでいた。 数学教育の発表の部屋にはなぜか卒業生が少なかった。 発表を聞いていると、概してだが、数学科出身者のものはきれいごとが多くて面白くなかったが、数学をきちんと勉強したことがないと思われる発表者の場合は面白かった。
 僕にとって違う文化に接したことの面白さだったのかもしれないが、多分そうではないだろう。 主体的契機の違いのような気がする。 地区や職場で発表者の割り当てがある。 数学出身者は発表したいことがなくても無理矢理候補者にたてられることが多いだろうし、そうでなく数学教育の発表をする人は自分で乗り越えてきたものがあるのだろう。 思いの違いのようなものが感じられる。 もちろん基礎的な教育がなされていないことから来る勘違いや迷いのようなものはあるのだが、子供に対してと日々の自分に対する思いのようなものが感じられて、そういう発表者には比較的好意を示す感想を述べた。
 勿論一方で、発表者全体の数学的知識や見識の低さも感じたので、そこに少しだけ居た卒業生を叱られ役に、お小言も述べさせてもらった。 好きでもなかった教師に久しぶりに会って、また叱られた卒業生はますます嫌いになっただろう。
 出会いは次の年の県教研である。 この年から、発表者が多いので小学校算数と中高の数学教育とを分けることになり、僕は中高の方を受け持った。 2度目ともなると異文化との出会いも新鮮さを失う。 大会の運営の仕方だの発表者の選び方だの、見えなくてもいいものも見えてくるが、概ね前年と同じように進行していく。  大会は小学校や中学校の教室を借りて行うのだが、午後の発表の中間の短い休みのとき、廊下に出たら、人の陰から現れるように一人の男性が近づいてきた。
 「実は...子供たちと一緒に、長さの違う直方体の展開図がいくつあるかを数えたんですが...」
 いきなりのパンチである。後で考えればその人は前年の大会で発表の傍聴にきていたかそのときのことを聞いていた人で、彼にとっては説明を要しなかったのだろうが、僕には面識がない。 面食らった顔をしていた僕を見て不安に思ったのか、
 「立方体の展開図が11個であるのは知られていますよね。」
 「はあ」
 (もちろん、そんなことは知りはしない。知る必要がなかったから知らなかっただけだが、やればわかることだし、否定すると相手が話しにくくなるだろうと思ったのでこう答えた。)
 「それで子供たちとですね、すべて長さの違う直方体の展開図がどれくらいあるかという話になったんですよ。 授業中ではできなかったので、放課後も皆で何度か考えたのですが、40ほど数えてわけがわからなくなっちゃったんですが。 どうやったらいいんでしょう?」
 (ムム、できるなオヌシ。ここはごまかすしかない)
 「どうするって言って...どうやったんです?」
 「みんなで描いていって、40も出てくると今までの奴かどうか分からなくなっちゃって.....」
 (ほっとして、それではできなくても仕方がない)「場合わけをキチンとね、treeを書いて....。で、すべてを尽くしているかどうかは別のことで....」
 ここで、教室の中から「始めましょう」という司会の声。
 「じゃあまた、あとで」
 それっきりになってしまった。最後の発表が終って廊下に出てみたら、隣の算数教育の部屋はもう誰もいない。 ほっとしたような、心に刺がささったような。
 次の日、大学院で数学教育特別研究という立派な名前の講義をしていた。4人ほどの受講生。 この話をして、何をどう考えたらいいのかを話して、彼らに考えさせてみた。 その時間のうちにはできなかったが、宿題にしたところ次の講義までには何とか解いてきた。 大学院生とは言っても、特に優秀なわけではない。
 考え方の枠を教えたら、彼らでも自力でできたということが重要である。 質問した先生も、考え方をもう少し教えてあげたら、自力で解決できただろう。 時間と精神的余裕さえあれば。
 答えは読者の楽しみのために書かない方がよいのかもしれないが、一応。 '93年度の『三重県高等学校数学教育研究会誌』37号の中の「TOSMポスト」というタイトルの文章の中に書いておいた。 図を描くと曖昧さが残るので、展開図に対応するダイヤグラムを考える。 対応するダイヤグラムの持つ性質を挙げ、その性質を持つすべてのダイヤグラムを数えつくす。 その際、適当な不変量に注目することによって数え尽くしを確認する。 さらに得られたダイヤグラムに展開図が対応していることを示すという手順である。
 この問題の解答だけで15ページ弱もある。 答えも、裏返して重なるものを同じと思わない場合が96通りで、それを同じだと思えば54通りである。 ちなみに、2つだけ辺の長さが等しい場合は、それぞれ52,29通りとなり、3辺とも長さが等しい、つまり 立方体の場合はそれぞれ20, 11通りである。 この最後の場合は、算数教育の方では有名であり、彼らはこの一般化として一般の直方体の展開図も大した数になるまいと 思って始めたのだろうが、不幸なことに数が多すぎた。 裏返しの問題もちゃんと考えないと、既出かどうか分からなくなる。

 この場合、ほんの少しのアドバイスさえあればよいだけだ。 ほんの少しのちゃんとした数学的訓練があればよかったし、それを補う機会があれば良かったのだ。 そう、こんな風に日本中の学校現場には、数学者の手助けを待っている人がいる。 当事者たちはそれを意識していなくても、数学者とのささいな交流があれば解決できる教育的課題が、多分山ほどにある。
 教科書をそのまま教えていれば何の問題も起こらないが、少しだけ道を外れると数学の荒野が待っていることがある。 現場の教師が子供たちとそうした場所に踏み込んでいく勇気を、僕ら数学者がいるというだけで与えられるようにならないだろうか。
 これが「TOSMポスト」設置の動機である。
 この出会いの数ヶ月前、名古屋大学で日本数学会の秋の「学会」があった。 教員養成の数学教室に所属している数学者たちも見知るようになった。 というより、所属を気にせず付き合っていた数学者たちの、そういう所属が分かるようになっていた。 目覚めはじめたが、といって算数・数学教育に数学者として何ができるか分からなかった。 いつかのコングレスでH.ホイットニーが数学教育の話をしていたのを聞いたことがあるが、結局何が言いたいのか分からなかった。
 しかし、出来がいいとは言えない教師たちを社会に送りだし続けている責任を、 何らかの形で取らねばならないのではないだろうか。 出会う人ごとにそういう話をした。 何かしないといけない。でも何ができる? ともかくやる気のある人でやってみよう。
 日を改めて設立の準備のために集まることにした。 福井大学の黒木哲徳氏の研究室だった。 そこに集ることになったのは、彼にはやる気があったが、忙しくて出かけられないという理由だった。 集まれる人だけでも集まろう。 場所のせいもあるだろうが、目鼻も付いていないものに日本中から集まるわけにはいかない。
 結局、岐阜大学の中馬悟朗氏と僕の3人だけだった。 それでいいから始めよう。 で、何ができる?
 教師の再教育か? 教師のための夏の学校なんかどうだろう。 高校生や中学生の夏の学校は? 校種にこだわらないものにするか?  社会人はどうする? 人手が増えてからだな。  数学に関する推薦図書を選定して、図書館での購入の指針や子供たちや教師自身の自習の助けにするというのは?  教員養成系での数学のよいテキストがないので、それを書こうか。 教育現場のあり方とそれに対して我々に何ができるかを研究するか?  定期的に集まってセミナーをすることにしよう。 そういう問題を討論しあうシンポジウムをするか?  そうそう、こういう先生もいるんだよ。こういう人の数学的な質問に答える質問箱のようなものはどうだろうか?
 名前、名前は何にする? 名前って、何の名前さ?  こういうのは自己満足に終っちゃいけないんだよ。 実際に役に立たないと意味がない。 だからさ、旗が要るだろう? 運動にするんだから、旗!
 で、衆知を集めて作った名前が、TOSM、Teaching of School Mathematics, 「トスム」と読んでください、というわけである。 1992年の12月、冬の福井での旗揚げであった。
 シンポジウムは3回開いた。セミナーは定期的に開いている。 TOSMポストも開設した。 TOSMのホームページ(http://www.com.mie-u.ac.jp/kanie/tosm/)も作った。 しかし、なかなか市民権が得られない。 焦らないでやろうよ、と焦りながら話し合う。 そういう中での熱海ワークショップだった。
 編集部に増やしてもらった紙数も尽きた。 その後のことはまたの機会にしよう。

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